卯酉の道、心の旅 ――東海道の地下は日本で最も日本的だった。 上海アリス幻樂団が奏でる、幻想的で激しい音樂集第四弾 1.ヒロシゲ36号 Neo Super-Express  ヒロシゲは二人を乗せて東へ走る。音もなく、揺れもなく、ただひたすら東に走る。  四人まで座れるボックス型の席には空きも多く見られ、二人で座っていたとしても相席 を求められる事は無かった。朝の反対方向は芋洗いの様に通勤の人でごった返すが、東京 行きは空いている。二人にとっては好都合だった。  車窓から春の陽気が入ってくる。最新型のこの新幹線は全車両、半パノラマビューが一 つの売りである。半パノラマビューとは上下を除いた全てが窓、つまり新幹線の壁は殆ど 窓で、まるで大きなガラスの試験管が線路の上を走っている様な物だ。  進行方向と反対に座っている金髪の少女の左手には、見渡す限りの美しい青の海岸、 右手には建物一つ無い美しい平原と松林が広がっていた。  出発から25分ほど経っただろうか、遠くに雲の傘を被った富士の山が見えた。 まるで仙人でも住んでいそうな厳かな姿をしている。  富士山復興会の努力により、近年になって漸く世界遺産に認定された富士だが、ヒロシ ゲから見えているこの富士の方が何倍も荘厳に見える。  というのも、ヒロシゲのパノラマビューから見ると、高層ビルも送電線も高架線も何一 つ見つけられないのも一つの理由だろう。  富士どころか、左手に見える海岸だって、世界遺産に一ダースほど認定されてもまだ足 りないくらい美しい。東海道はこんなにも美しいのだ。  だが、この卯酉 (ぼうゆう) 新幹線『ヒロシゲ』から見えている極めて日本的な美しい情景も、金髪 の少女、メリーにとっては退屈な映像刺激でしかなかった。 2.53ミニッツの青い海 Blue Sea for 53 minutes 「ヒロシゲは席は広いし、早く着くし便利なんだけど……  カレイドスクリーンの『偽物の』景色しか見られないのは退屈ねぇ」 「これでもトンネルに映像が流れるようになって、昔の地下鉄よりは明るくなったのよ。  まるで地上みたいでしょ?」 「地上の富士はここまで綺麗じゃないかも知れないけど、それでも本物の方が見たかったわ。  これなら旧東海道新幹線の方が良かったなぁ」 「何を贅沢言ってるのよ。旧東海道なんて、  もう東北人とインド人とセレブくらいしか利用していないわよ。  ま、メリーは東北人並にのんびりしているかも知れないけどね」 「セレブですわ」 ――卯酉東海道が出来たのは、二人が生まれる前の事である。  神亀の遷都が行われてから、大量の人間が東京と京都を行き来する必要が生まれた。旧東 海道だけではすぐに交通インフラに限界が来て、政府は急ピッチに新しい新幹線の開発に取 りかかったのだ。  そして完成したのが、京都―東京間を53分で繋ぐ卯酉新幹線『ヒロシゲ』である。この 新幹線は、京都―東京を通勤圏内にし、あっという間に日本の大動脈となった。  驚くべき事に、卯酉新幹線の全てが地下に、そして直線的に作られている。始点から終点 まで、空も海も、山も森も、太陽も月も、何も見ることは出来ないのだ。 3.竹取飛翔 Lunatic Princess 「あっという間に着くのは良いけど、こんな偽物の景色を見てるだけじゃ蓮子は退屈じゃないの?  夜は夜で空に浮かぶのは偽物の満月、ってのもなんかねぇ。  東海道も昔は53も宿場町があったというのに、今は53分で着いちゃうのよ?昔よりも道のりも長いのに。  こうなっちゃうと、もう旅とは呼べないわよねぇ」 「道中が短くなっただけで、旅行は旅行よ。東京観光巡りは面白いわよ?  京都と違って新宿とか渋谷とかには歴史を感じる建物も多いしね。  そういう観光の時間が増えたと思えば良いじゃない」 「はいはい、そうですね。  あーあ、偽物の満月には、太古の兎が薬を搗 (つ) いている姿が見えるのかなぁ」 「そうそう、こんな話知ってる?  実は、ヒロシゲは最高速を出せば53分も掛からないらしいんだけど、わざわざ53分になる様に調整したらしいよ?」 「一分一泊ね。その調子なら三週間で老衰だわ。短い旅ねぇ」  宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーン(メリー)の二人は、大学の休みを利用して、蓮子の 実家である東京へ旅行する事になった。  旅行と言っても蓮子の彼岸参りに便乗するだけだが、まだ東京に行った事が無いメリーは、 今回の東京旅行を非常に楽しみにしていた。  道中の景色も楽しみだったのだが、あいにく卯酉東海道は全線完全地下の新幹線である。  それでも、昼間の外と同じくらいの光が窓から射し、そして外には美しい富士と太平洋が 映し出されていた。  それが、卯酉東海道最大の売りと予算を使った装置『カレイドスクリーン』だった。 4.彼岸帰航 Riverside View 「メリー、  東京のお彼岸には変わった風習があるのよ。知ってた?」 「ええ?どういうの?」 「お墓参りと一緒にね。  お墓の周りの結界のほつれを見つけて、冥界参りもするのよ。  お盆が冥界からご先祖様が帰ってくるでしょう?  だからお返しに彼岸には、こっちから挨拶に行くの」 「そうなの?  あらいやだ、何の準備もしていないわよ。何で言ってくれなかったのよ」 「嘘だからよ。  でも、折角だから、するよ?」 卯酉東海道は、最も効率よく東京の人間を京都に運ぶ為だけに作られた。 だから、駅は二つしか作られていない。 卯東京(ぼうとうきょう)駅と酉京都(ゆうきょうと)駅の二箇所だけである。 つまり、始点と終点以外は駅が無い。 二人が酉京都駅を出発して、すでに36分ほど経っている。 外の景色は、歌川広重が見て歩いただろう東海道、その物だった。 どこまでもどこまでも美しい。空と海と、富士の山。五十三の宿場町。 5.青木ヶ原の伝説 Forbidden Forest 「あ、今……」 「どうしたの?メリー、急に怖い顔をして……」 「急に頭が重くなった気がしたの。  蓮子は感じない?ここら辺の空間は少し他と感じが違うわよ。  それに結界の裂け目も見える……スクリーン制御プログラムのバグかしら」 「ああ、それはきっとここが霊峰の下だからよ。  少しは空気も違う、いや時空すらも異なるかも知れないわね。  過敏なメリーにはちょっと緊張が走るかも知れないわ」 「なるほど、富士山の地下ね。  なら判らないでもないわ。昔から富士の地下には冥界の入り口があるって言うもんね。  でも、富士山って火山でしょう?そんな地下にトンネルなんて掘って大丈夫なのかなぁ」 「心配性ね。そういう時はお酒でも飲んで考えるのをやめましょう?  富士が世界遺産に認定された時に、休火山から死火山になったと断定されたでしょう?」  とにかく東京と京都を結ぶ事だけを考えて設計した卯酉東海道だったが、政府は霊峰富士 の真下に穴を開けるという、畏れ多き事態だけは避けた。  卯酉東海道は、富士を避け、樹海の地下を走っている。  ただ、樹海には古くから良くない言い伝えが多く、樹海の真下を走るというだけで新幹線 の運行や乗客数に影響が出てしまうかも知れない。  そう考え、樹海の真下を走っているという事は一般には明かされなかった。 6.お宇佐さまの素い幡 Most Famous Hero 「あはは。朝からお酒が美味しいわね。  そういえばこの新幹線、最初は京都と東京だけじゃなくて、鎌倉にも駅を作る予定だったらしいよ?」 「蓮子は物知りねぇ」 「そりゃ、物知りだもの。  なんでも、三つの都を繋いで名前も繋都(けいと)新幹線にしたかったんだって」 「暖かそうな新幹線ね。って、鎌倉は都じゃないでしょ?  それに鎌倉って、京都と東京の間にしては東京寄り過ぎじゃないの」 「ま、そういう理由でお蔵入りになったらしいんだけどね」 「そんなこと、最初から判りそうなものなのに……。  蓮子は誰かに嘘情報吹き込まれたんじゃないの? 八幡様が好きな誰かに」 「そういえば、『お蔵入り』の蔵って、何の蔵なのか知ってる?」  富士と言えば北斎の『富嶽三十六景』が有名であるが、北斎は富士を幾ら描こうとも満足 することはなかった。富嶽三十六景は実際には四十六枚ある事からも判る。  自分の半分くらいの年齢しか無い、若い広重が『東海道五十三次』を出版し、それが人気 を博すと、過去に三十六景を出したというのに、負けじと北斎は『富嶽百景』を出版した。 その位、富士に魅入られていたのだ。  しかし、広重もまた、富士に魅入られた者だった。 7.月まで届け不死の煙 Elixir of Life 何にしても現代の日本は広重を選んだのだ。 卯酉新幹線ヒロシゲは、地下を東に走り続ける。今はちょうど鎌倉辺りだろうか。 「ねぇ蓮子。トンネルスクリーンに映ってる富士山って、ちょっとダイナミック過ぎないかしら?」 「うーん。余りまじまじと実物を見た事がないから何とも言えないけど、こんな感じだと思うわよ?  きっと、周りに人工物が殆ど映っていないと、こんな感じに見えるんじゃないかな」 「この富士は、広重と言うよりは北斎かなぁ。  スケールだって、オートマチックビデオリターゲッティングの処理された様な感じがするわ。  リアリティよりインパクトを重視した様な気がする」 「メリー、広重も北斎に対抗して、富士の三十六景を描いていたってのは知っている?」 「あら、パクリ?インスパイア?」 「その名も、『富士(不二)三十六景』というの。しかも北斎の没後に出版したのよ」 「あらあら」  建物の少ないカレイドスクリーンの景色では、富士山は霊験あらたかで、迫力のある姿を 見せていた。  本物の富士山も、富士山復興会の努力により今は綺麗である。本来の富士の姿の余りの迫 力に圧倒されたか、復興会の厳しい掟に嫌気がさしたか、山を登る人の姿も少なくなり、観 光協会が大打撃を受けたというのは皮肉だが。  日本が広重を選択したのは北斎の奇才を認める事が出来なかったからである。日本は狂気 を徹底的に嫌ったのだ。  だがしかし、もしこの新幹線がヒロシゲではなく、ホクサイだったとしたら、カレイドス クリーンにはどういう情景が映し出されていただろうか。  きっと、今よりも目的地に早く着く、36分間の狂気の幻想を愉しめたに違いない。 8.レトロスペクティブ京都 Retrospective Kyoto 「もうすぐ東京かしら。  やっぱり物足りないわね」 「確かにね。でも着く前に疲れなくて良いじゃない」 「ま、東京見物出来る時間が増えたから良いか。  今日はどんなところを案内してくれるの?」 「そう焦らないの。  まずは実家に着いてから彼岸の墓参りを済ませて、荷物を置いてから見学に行きましょう?」 「あれ?冥界参りに行くんだっけ?」 「東京は、京都に負けず劣らずの霊都だから、きっと楽しいわ。  メリーと一緒なら」  アスファルトで固められた地霊の罪も時効を迎え、東京の道のそこら中にひびが入っていた。  環状線も一部が草原と化し、葉っぱもなく、茎と赤い花弁だけの奇妙な花が道を覆いつつある。 人口の減少と共に、自動車という前時代的な乗り物も減っていた。道がどうなろうと不便な事 は無かったのだ。  派手な格好の若者達が、独自のルールを形成している事が特徴的な東京。  町奴や旗本奴、火消しが暴れる町の様に……。  東京は昔の姿を取り戻しつつある。 9.ラクトガール ~ 少女密室 Locked Girl 「京都と違って東京は田舎だから、懐かしい物が沢山あるのよ」 「例えば?」 「閉塞感ある狭くて高いビルの中で遊ぶテーマパークとか、超大型ショッピングモールとか」 「良いわねぇ。その洗練されていない庶民的な娯楽がまだ残っているのね」 「その辺、京都は厳しいからねぇ。  娯楽と言えば新茶道とかしかないし」 「あら、お茶は好きよ?  あの茶室の密室さ加減が」  東京にはその昔、食のテーマパークが流行った時代があった。  全国各地から美味しいと評判の店を持ってきて、一箇所に集めただけという何とも風情 の無いテーマパークだったが、それでも東京の人間には大好評だった。  東京には、江戸時代の頃から、闘食会と呼ばれた死をも恐れない食の大会があった。そ れを考えると、現代の東京で食のテーマパークが流行るのも当然の事である。  江戸の血を確実に引く東京の街。  本でしか見た事の無い、時代を超えた街、東京に近づくにつれて、メリーの気持ちがま すます高揚した。 10.千年幻想郷 History of the Moon 「富士が小さくなっていくわ。もう東京は目の前ね」 「蓮子の話を聞いていたら、なんだか楽しみになってきたわ。東京が」 「そりゃ私の話だもの。  でもね、京都に比べるとやっぱり、精神的に未熟な都市って感じは否めないわ」 「たまには馬鹿になるのも良いじゃない」 「結界の切れ目もほったらかしだしね。  千年以上も霊的研究を続けてきた京都とは大違いだから」 「あ、スタッフロールよ。  こんな風景まで作者の権利を主張しようとするのねぇ」  窓の外の景色に文字が浮かび上がっている。  53分のカレイドスクリーンの映像が、終わりを迎えようとしていた。  本来、景色には誰の著作物である、という考え方は無い。さらに言うと、この映像は広 重が見たであろう東海道を基にしているのだ。  それでも、人間は自分の物だと主張する。乗客は皆、本物の景色ではないかと思って見て いた立体的な風景に、映像の制作者の名前が浮かんでは消え、消えては浮かんでいる。  風景の真ん中に「Designed by Utagawa Hiroshige」と言う文章が浮かんだのを最後に、 世界は闇に閉ざされた。 11.最も澄みわたる空と海 ハイダイナミックレンジの映像も、 極めて日本的な情景も、 本物の空の色には敵わない。 という前時代的な認識を持つ人間は、もはや居ないだろう。 ヴァーチャルの感覚は、リアルより人間の感覚を刺激する。 夢と現は区別出来ない様に、人間と胡蝶は区別出来ない様に、 ヴァーチャルとリアルは決して区別出来ない、と言うのが今の常識である。 言うまでもなく、ヴァーチャルが人間の本質なのだ。 身は華と与に落ちぬれども 心は香と将に飛ぶ 53分間の他愛の無い会話の続きを地上でする為に、二人は東京駅を後にした。