地底のビジョンは地獄の物なのか ――感度の上がったメリーのアンテナが、日本の真実を想像する。 上海アリス幻樂団が奏でる、 未来的で郷愁な音樂集第七弾 1.緑のサナトリウム Sanatorium in Mountain 「退屈しなかった?」 「退屈しない訳が無いわ。こんな電波すら入らない山奥に隔離だなんて」 「隔離って……、療養よ、療養。一応」  行き過ぎた環境保護主義は都会を見かけだけの森林に飾り立てた。天然の植物 の無い、まさに絵に描いたジャングルだ。  人間は自然を創造し、全てを管理したつもりでいた。管理外の物の存在を否定 するようになるのも時間の問題だった。病気も大抵治療法が確立していた。絶対 に治せない先天性の物等は病気では無く個性として認められ、社会が適合できる ように変化していった。  治せない病気は、事実上“存在しない”のだ。  マエリベリー・ハーン(メリー)は鳥船遺跡で怪我を負ってから、原因不明の 病に冒されていた。どうやら地球上には存在しないウイルス性に依る譫妄だと診 断された。  管理外の物を恐れる社会の性質により、メリーは信州のサナトリウムで療養と いう名の隔離治療をさせられていた。この度、完全に治癒したとの連絡があって、 宇佐見蓮子が迎えに来ていたのだ。 「誰とも会わせて貰えないし、そもそも日本に身寄りがいないし」 「まあまあ、ところでどんな病気だったの?」 「何か、熱に浮かされて寝ながら歩いたり別世界の幻覚を見たりしたわ」 「ん? それってメリーにとってはいつもの事じゃあ……」 2.牛に引かれて善光寺参り Goslings lead the geese to water. 「ほら、本堂の柱が土台から随分とずれているでしょ?」 「これが地震柱?」  退院ついでに信州観光を行う事にした二人は、まず日本最古の仏像を祀るとい う善光寺に立ち寄った。  観光客がごった返す仲見世通りには目新しさは無い。お土産屋は伝統に縛られ たまま、百年以上は時が止まっているようだ。 「これが善光寺地震の爪痕と言う事になっているわ」  ――善光寺地震。弘化四年、信州北部を襲った地震である。  善光寺は七年に一度だけ秘仏を公開する事で有名で、その時は全国から人が集 まり非常に混雑する。善光寺地震は、その御開帳の真っ最中に起きたため、死者 数千人とも言われる甚大な被害をもたらした。 「地震で柱だけがずれたって言うの? そんな事あるのかしら」 「本当はね、これは柱が時間が経って乾燥して捻れた物だって判ったの。 でも、それより地震柱と呼んだ方が地震の恐ろしさを後生に伝えられるって みんな判断して、正式名称になったのよ」  メリーには見えていた。柱が歪むような恐ろしい地震の光景が。 3.ハートフェルトファンシー Heartfelt Fancy 「どうしたの? 何か顔色が良くないみたいだけど、 まだ病み上がりで調子が悪いの?」 「あ、ああ、そんな事ないわ。むしろ絶好調みたいで……」 「?」  メリーは最近、結界の切れ目だけで無く、異世界の風景を見ているようだ。 さらに夢の中だけで無く、実際に移動したりする事があるようで気になっている。  先日の鳥船遺跡の時もそうだ。蓮子にとってはただの夢かも知れないが、彼女 にとっては現実と変わらない。だから、彼女だけが怪我をしたのだ。  サナトリウムに行った理由も、精神異常と判断された、と言うのが正しいのだ ろう。無論そんな事はないが、社会は不思議な者を受け入れないのだ。  だから、彼女の能力はオカルトな物として秘密にしなければならない。 「私は、メリーが不思議な力を持っているのは判っているわ。 でも、その力っていつも神社仏閣が関係しているのよね」 「そうだっけ?」 「ええ、だからここに来てみたんだけど、まだ体調が優れないのかしら?」 「だから、平気だって。 ただ、少し調子が良すぎてねぇ、なんか余計な物まで見えて」 「余計な物?」 「地獄とかね」 4.六十年目の東方裁判 Fate of Sixty Years 「うわー、これはちょっと」 「随分とファニーな顔をしているわね」  二人は善光寺の閻魔像の前にいた。閻魔像は顔を真っ赤にして怒りを 表している様だが、二人にはただの酔っ払いのオヤジにしか見えていない。 「ねえ、メリー。さっきの話だけど、地獄って本当にあるの?」 「うーんと地獄はね、 地下4万由旬に存在すると言われているの」 「由旬って長さの単位?」 「そう、古代インドの長さの単位で1由旬はおよそ7キロ。 つまり、4万由旬はおよそ28万キロくらいね。 地球の直径が1万2千キロちょっとだから、地球も通り過ぎちゃうわ」 「28万キロじゃ、地球を通り越して月の方が近いくらいね。 つまりは存在しないのかな」 「んー、そうとも言えないんだけど」  地下4万由旬に存在するのは地獄の底である。  実際には地獄はそこから3万9千由旬の高さがある。つまり地獄の 天井はずっと近く、地上からそこまでの距離は1千由旬しかない。キロに換算 すると地下7千キロ。これは地球の中心近くに地獄がある事を意味している。  メリーには地球内部の事まではよく判らない。もし自分が地獄が存在すると 信じたら、いつか必ず行く事になるのでは無いか、そんな不安が頭をよぎる。 彼女は今、そう感じさせる物を持っているのだ。 不安を誤魔化すべく話を続ける。 「それでも極楽よりはずっと近いのよ?」 「え? 極楽は雲の上にあるんじゃなくて?」 「極楽にすむ阿弥陀如来の身長は6×10125由旬もあるのよ? 雲の上どころか――」 「――えーと、阿弥陀如来の身長だけでビッグバン宇宙より遥かに大きいわね。 何そのインフレ」 5.アガルタの風 Agartha Wind 「地獄に比べて極楽は遥かに大きくて遠いのね」 「同時に、地獄は極楽に比べるともの凄く身近で、現実的という事なのよ」  遥か昔から、人間がいる限り地上にも地獄は存在した。その地獄よりも遥かに 大きい極楽を想像して恐怖を和らげていたのかも知れない。  しかし、地底にある本物の地獄は未だに沈黙を続けている。  蓮子には黙っていたが、メリーはサナトリウムで療養中。地底奥深くの不思議 な世界を体験していた。  恐ろしい死の匂いが充満した洞窟の入り口。何処か古事記に出てくる黄泉比良 坂を彷彿させた。彼女はそこで手に入れた不思議な石片を現在も持っている。何 故かこの石片を持っていると、いくつかの風景が頭に浮かんでは消えるのだ。  メリーは予感した。地底には何か秘密がある。それもこの国の創世に関わる、 何かとてつもない秘密だ。 「メリー、どうしたの? また考え込んじゃって」 「ねえ蓮子。私がサナトリウムにいたとき、何か起きてなかった?」 6.イザナギオブジェクト Izanagi Object 「え? 何か、ねぇ」 「特に、地底に関わる事で」 「う、うーん。そういえば、完全に情報は遮断されてたのね。 OK、OK。一ヶ月くらいのニュースなら大抵覚えているわ。 地底に関わる事なら……、そうねえ眉唾物のニュースで良ければ」 「お願い」 「日本海のメタンハイドレートの採掘場から、何やら不可思議な成分の鉱物 が出たって……。 2500万年前に完全に消えたイザナギプレートの名残だって、一時大騒 ぎになったんだけど、どうもその情報が眉唾物でね。見つかった石片が、 どう見ても人の手が加わった形をしていたのよ。 それで学者もみんな冷めちゃってさ」  イザナギプレートとは、太平洋側からユーラシアプレートにぶつかり日本列 島を生んだ太古のプレートである。2500万年前に大陸の下に潜り込んで、 完全に消えた。その名前は日本列島を生んだ神にちなんだ物である。 「遥か地底から人工物? それって本当?」 「いやー、どうだかねぇ。過去にはこれは70万年前の石器だ、って捏造し た学者もいたみたいだけど、2500万年以上前、じゃあねぇ」 「つまり逆説的に、捏造では無いと」  メリーが何か確信を持ったような表情を見せた。 7.妖怪裏参道 Enigma Street 「良いニュースだわ。 その人工物は、本物よ!」 「へ? 今日のメリー、何か変よ? 急に不安がったり、急に自信持ったり」 「実はね、私、そのイザナギプレートの名残だという石を持っているのよ」 「へ? な、何言ってるの? やっぱりおかしくなっちゃった?」  蓮子は何やら興奮しているメリーを観察した。  何か、伊弉諾が実在……等、ぶつぶつと呟いてる。何かちょっと遠くに 行ってしまったようで寂しく思った。  そう言えば最近、メリーの能力が高まっている様に感じていた。最初の頃は ただ不思議な世界が見られると言う事で遊んでいただけなのに、今ではその世 界から物を持ってくる事も自在という。  不思議な世界では妖怪のような者に出くわす事もある。蓮子にとってはそれ はただの幻像であるが、メリーには現実なのだ。  蓮子には、メリーがその妖怪と同じレベルにいると思えてならなかった。 8.アンノウンX Unfound Adventure 「ねえねえ、メリーが持っているっていう石って……」 「はいこれ」  メリーは小さな石を差し出した。その形は、釣り針とも鍵とも言いがたい 形容しがたい形をしていた。明らかに人工物である。 「これがイザナギプレートから見つかった人工物、伊弉諾物質 (イザナギオブジェクト) よ」 「んー、なんでそう言い切れるの?」 「私には見えるもん。  2500万年前に伊弉諾が創った日本の姿が」 「今日のメリーは、いつもにも増して電波ね」 「何とでも言って、今は新しい映像が次々と入ってきて絶好調なんだから」  サナトリウムから戻ってきて、メリーは一段と感覚が鋭くなった様に見える。  蓮子は羨ましく思うと同時に、何とかして自分もその映像を見なければと思った。 「ねえ、私にも見せてよー。その映像」 9.日本中の不思議を集めて Mysterious Island  人はいつから不思議を受け入れなくなったのだろう。  暗闇に火の玉が浮かんでいれば、昔は死者の無念の魂とか、狐が人を騙す時 の火だとか言ったものだった。  そこには深い想像力があった。  科学が進んでも、想像力が重要なのは変わらなかった。科学の大半は想像力で 出来ているからだ。火の玉は燐の自然発火だとか、プラズマだとか、脳の仕組み で起こる錯覚だとか想像した。  しかし、情報化社会が進むと想像力は死滅した。  情報が誰にでも平等に与えられる物になった時代に想像の余地は無かったのだ。  火の玉の正体は与えられた情報の海の中に必ず答えがある。無ければ、何かの 間違いで片付ければ良い、と。  人は答えのある不思議を娯楽として楽しみ、答えの無い不思議を否定した。  それが、この国から神様が消えた理由である。  今はもう、日本中が神様の墓場なのだ。 「メリー! この場所、見た事があるよ!」 10.素敵な墓場で暮しましょ Neo-traditionalism of Japan 「この逆さに刺さった鉾は、高千穂の天逆鉾 (あめのさかほこ) ね。  伊弉諾命と伊弉冉命 (イザナミノミコト) が大地をかき回したという鉾よ」  メリーは蓮子の目に手を当てていた。こうする事で、不安定だがメリーの ビジョンを共有する事が出来るのだ。 「え? この世界に実在するの?」 「高千穂峰の山頂に刺さっているのよ。もの凄く不思議なのに、誰もまともに 研究しようとしないの」  メリーからもう不安は消えていた。自分が見た地底の光景は地獄なんかじゃ無い。  これは現実にある、神々の世界の映像なんだ、と。 「じゃあ、きっとその天逆鉾も本物ね。 この伊弉諾物質と同じ石で出来て居ると思うわ。確かめなくっちゃ」 「良いわね。今度、メリーの快気祝いに行こう。 天逆鉾が本物だとすると……、もしかしたらここの近くにも伊弉諾物質が あるかも知れないわ!」  二人の想像力はとどまるところを知らない。 「休憩したら次は戸隠に行ってみようよ。 あそこには天手力男命 (タヂカラオノミコト) がぶん投げたという天の岩戸があるんだって」 「天の岩戸といえば高千穂の……」 「そう、きっと天の岩戸も伊弉諾物質だわ! そうと決まれば行こう、戸隠へ」 「ワクワクするね。 きっと誰も気にかけないだけで日本中に伊弉諾物質が眠ってるんだわ。 それに気が付いた者だけが、神の時代の風景が見られるの。 素敵だわ、私達で見つけ出しましょう!」  神様の墓場が史実として動き始めていた。  それは秘封倶楽部、不思議を受け入れた者だけが見える、別の日本の姿だった。