宇宙に捨てられた衛星トリフネ ――隔離された楽園に秘封倶楽部の二人が臨む 上海アリス幻樂団が奏でる、眩惑的で熱い音樂集第六弾 1.衛星トリフネ Satellite TORIFUNE 「ねえ。トリフネ、って有ったでしょ?」 「トリフネ? ああ、あの事故起こした宇宙ステーションの?」  トリフネは数年前に原因不明の機械トラブルを起こし、宇宙の藻屑 と消えた不遇の宇宙ステーションだ。 「アレって、宇宙に適応出来るかどうかの実験で、色んな動植物を 乗っけてたんだよね」 「あ、あーそうねぇ。でもそれがどうしたって言うの?」  トリフネには最適化された生態系を乗せていた。限られたエリアだ けで完結する生態系の実験の為である。その目標はテラフォーミング の実現だ。  それも火星や金星などではない。そんな物はSFの世界の話だ。  テラフォーミングの対象として目されていたのは、地球である。 「もしかしたら、まだ生きているかも知れないの」 2.トロヤ群の密林 Trojan Green Asteroid 「メリー、何言ってるの? いくらミニ生態系が用意されていたと しても人間の手を離れた宇宙ステーションで維持なんて……」  宇佐見蓮子は苦い笑顔を見せた。 「……メリーがそういうって事は、何かあるんでしょ?」 「うん、最近見えるの。”中”の様子が」  トリフネは人類の制御を離れ宇宙の藻屑となったと言われていたが、 実は地球―月系のラグランジュポイントに留まっている事が判っている。  万が一を考え、何らかの事故が起きて制御不能になった場合でも 推進装置に影響がない場合、地球への落下防止と未来の回収を考えて、 ラグランジュポイントに自動移動して留まる機構を備えていたのだ。 3.デザイアドライブ Desire Drive ――美しくも無秩序な緑の森。  むせ返るような蒸気。異常な熱気はコンピュータの暴走か。  人工的な重力空間を幻想的に舞うツノゼミの一種。  構造色なのか鮮やかな、そして毒々しい色をしたモルフォチョウの一種。  絶えず水の流れる音はするが、川は見えない。  縦横無尽に張り巡らされた植物の根が川を覆ってしまったのだろう。  ジャングルとはこういう物だったのだろうか。  マエリベリー・ハーンの探検心をくすぐる。 4.フェアリー冒険譚 Childlice Adventure  目に映る光景は、余りに幻想的だった。  生命力の高い個体ばかり積んだからだろうか、人類の管理から 放たれた動植物は枯れること無く成長を続けていた。  窓の外は有害な太陽風吹き荒れる無の世界。  そこに漂う宇宙船の中は、緑の閉鎖楽園。  余りの異様な光景にマエリベリーは熱病にかかったかの様に 辺りを探索した。  地上とは異なる安定しない重力感覚がそうさせたのかも知れない。  暫く探索すると蔦が密集した所に、一際違和感のある意匠を発見した。  二本の柱に木を渡したもの――鳥居である。 5.天鳥船神社 Space Shrine 「……という所で目が覚めるの」 「え? 夢の話なの? ……って言ってもメリーの夢は怖いからなぁ」 「ところで、何で宇宙ステーションに鳥居があるのかしら」  衛星トリフネには天鳥船神社が建てられていた。  一応、宙の交通安全の為に祀られているとされる。もしかしたら 大洪水の際につがいの動物を乗せたとするノアの方舟のイメージも あるのかも知れない。  人間はいくら科学が進もうとも、最後は神頼みなのだ。 「へー。詳しいわね」 「その事を知らなかったのにメリーの夢にも鳥居が出てくるのなら、 もう間違い無いわね」  蓮子は頷く。 「この近くにも天鳥船神社、あったよね」 「しょうが無いわねぇ。 今夜はそこから”見に行きましょう”」 6.夜空のユーフォーロマンス UFO Romance 「――わあ、これが衛星トリフネの内部なの?」 「素敵でしょ? 地上じゃこんな世界、中々見られないわ」 「幻想的ね。隔離された楽園、かー」  蓮子とメリーは地上から38万km離れた衛星トリフネの中にいた、  ……と言っても勿論夢の中である。  二人は結界の向こう側を見つけては遊んでいるのだ。 「ここにある動植物は恐らく殆ど亜種ね。 このぐらい適応力が高いと、逆に地上には持って行けないかも 知れないわねぇ……」 「何、研究者みたいな目で見ているのよ」 「理系の人間はみんなこうよ……ん? 何の音?」  何処からか低いうなり声が聞こえていた。 7.ハルトマンの妖怪少女 Lonely Monstar  目の前に立ちはだかる未知の生物。  羽の生えた獰猛な獣が姿を現した。  地球に存在する物に例えるのなら、キマイラだろうか。 「ちょっと、アレって!?」 「うーん、合成獣かしら。 でも身体の大きさに比べて翼が小さすぎて、アレでは飛べない。 ここは閉鎖空間だから遺伝子異常が起きやすいし、 ウィングキャットみたいな物かもね」 「じゃ、なくて! 何でそんなに冷静なのよ! 明らかにアレは危険でしょ?」 「だって、これは夢でしょ? メリーが見せた」  キマイラは二人目掛けて飛びかかってきた。 8.天鳥船神社の結界 Space Shrine in Dream 「ふう、危ない危ない」 「あれ? もう終わり?」  気が付くと地上の天鳥船神社に居た。 「私一人の時は動物は昆虫くらいしか見かけなかったのに。 あんなの居るなんて聞いてない! ……って、蓮子は怖くないの?」 「だって、夢の中だし……それに未知の生物に興奮して 怖いとか勿体ない」 「夢の中……って言ったって怖い物は怖いわよ」 「ねえ、もう一回行かない?」 「え?」  メリーはこの夢がただの夢でない事を知っている。  あの光景は紛れもない、衛星トリフネの真実なのだ。  それを見ている自分は真実では無いのだろうか。  リアルとヴァーチャル、どちらの方が人間に与える影響が大きいのか 判らぬ訳も無いのに。 「……辞めようよ。 危ないってば」 「だってさ、いつでも逃げられるんでしょ? 今みたいに。 それに知っている? 夢の中なら人間は何にでもなれるんだわ」 9.感情の摩天楼 Cosmic Mind  ――不安定な重力を乗りこなし、ひょうひょうと跳ねる蓮子。 「おもしろーい! これだけ身軽ならさっきの怪物が出てきてもきっと余裕だよ!」 「不吉なことを言わないの」 「大丈夫だって。 今の私はさながらシューティングゲームの主人公よ!」  蓮子は銃を構えたポーズで撃つ真似をした。 「いくら夢でも、光弾が撃てたりはしないと思う。 これは”私の夢”なんだからね」 「判ってるって。 ここが本当の衛星トリフネ、”鳥船遺跡”だって事もね」  衛星トリフネの事故の原因は一般には「コンピュータのバグ」 だと言われている。しかしバックアップからは原因を特定する 事は出来なかった。  勝手にラグランジュポイントに移動し始めた衛星トリフネを 止める手段が無く、専門家が 「日本の技術者は多額の金をかけて宇宙に遺跡を作った」 と揶揄した事を切っ掛けに、この衛星は「鳥船遺跡」と呼ばれる ようになった。 「とすると、怪物は鳥船遺跡に実在するのよ。 ワクワクするわねぇ」 「んもー。 いくらこれが夢だとしても、怪我でもしたらどうなるか 判らないわよ?」  怪物が二人を襲ったのはその時だった。 10.宇宙に浮かぶ幻想郷 Paradise Torifune  衛星トリフネの回収の予算は下りそうに無い。  何故なら人間の制御の手を離れた時から、もう中の生物は 全滅し、わざわざ回収する程の価値は無いと思われているからだ。  まさか地球―月系のトロヤ群に、断絶された生命の楽園が 存在している等と、誰が考えただろう。  蓮子は病院の前で待っていた。 「大丈夫だった?」 「何て事も無いかすり傷よ。 綺麗な傷で、別にバイ菌も毒も心配ないって」 「良かったぁ。 心配したわ、夢から覚めたら腕を怪我してるんだもん」 「不公平な話ね。蓮子は無傷だったのに……」